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週末 おやじの プチ単独一人ぼっち ツーリング 報告!
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週末 おやじの プチ単独一人ぼっち ツーリング 報告!
2013年8月3日 12年余り放置状態だったバイクが 3度めの修理<3度めのキャブレターオーバーホール>を終え いざ今度は大丈夫だぁ~っと AM7時 エンジンをON! 一発点火で 自宅を出発。 今日は 橿原~明日香~大淀~黒滝~洞川温泉~天河村~大塔~五条~橿原~帰宅 って行程予定だ。 しかし昨日バイク店より 帰ってきたばかりなので なにか不安だ! ことわざの 『2度あることは3度ある しかし今回は4度目の正直って』って言葉だぁ…。 家より 直線の坂道を下る事 300m先の 信号待ちで 又々 『プスン』っとエンジン切れる その後何度セルを回しても エンジンが回らず あぁ~っと途方に暮れる事 1時間余り! バイク店へ電話しても 営業時間外で 駄目! これじゃ今日行け無いヤロ-っと~ 駄目やんか~っと落ち込む 『気持100㌧ダウン!』 帰宅するにも坂道で押し帰る事も出来ず 最悪な状態に バイク店への恨み 1000倍返し してやるぞぉ~っと!
途方に暮れるやら…。。。。。
どうのこぅ~っと シートを取り覗き 色々と触り・等々 して 一か八かのエンジンONで 不思議にエンジンが始動!
おぉ~っと ビックリ! な・な・な何故やんやぁ~っと? あぁ~色々と考えた結果 一番の原因は 俺だったんだと気づき! あぁ~人を疑い、憎んだ事を 恥かしく思い反省した! 『ごめんなさい バイク屋さん 普段よりバイクを大切にしておけば 又 12年間も放置しておかなければ こんな事になかったのにと反省。』 私がすべて悪いのです。。
※教訓 放置は駄目 全ての物 使わないと駄目になる!
気持ちを切り替えてイザ出発 しかし90分の足ふみは 堪える! 阪奈道路より奈良市内へ 24パイパス沿いのENEOSで給油する。 満タンにしたいんだけど パッキンが痛んでる為 燃料が噴き出し怖いので 8分目程給油する。 ※この先 高いガソリンを入れる事になるとも知らず! 24パイパスを南へ 西名阪道の降下したを抜け 建設中の京奈和自動車道を 郡山RPになるのかなぁ~より入る。 まだ未完成だから橿原手前までは無料で走る事ができる。 綺麗な道だ。 120㌔走行位では大丈夫だと思っていたが 道路両面に風除けネットっと言うか無いので 風が邪魔をし 80㌔~100㌔がベスト走行だ。 風防でも付いていたら別だけどネ! ※老いオヤジ そんなに急いで何処行く の世界だ!【あの世?】
地上何メーターかは分からないが 結構高いところを走っていると思う。 左右には 『色々な街並み』って言っても大部分は 田畑である。 左手、東側になるが こちらも田畑と山並みであるが左右広い田畑の中に こんもりとした小さな森が沢山あるのに気付く 全てが神社・お寺・古墳である 大和の国は古墳と寺社仏閣の集まりである。 たから遠く上より見ると良く分かるのだ。 高速道路は南へずぅ~っと遠くまで続く…! 東の山間を横目で見ながら、昨年の事ではあるが 丁度 天理駅より 山中を桜井駅まで 歩いた事を思い出した 『山之辺の道』だ。 近鉄天理駅より約20キロ~30キロ近くはあるんじゃないかなぁ~っと思う? 灯台下暗っと言う言葉があるが 奈良へ住む事何十年! 他府県の事は仕事柄色々と知り 又、行ったりしているが 奈良近辺の有名観光地は知っているが 近場は近か過ぎて中々訪れる事が無いのが事実だ! 灯台下暗しだ!
私は学生時代より寺社仏閣が好きで学校より帰宅後良く 50㏄バイクで 探しに出かけた。 この趣味だけは今も変わることなく寺社仏閣の看板を見れば大小関係なく即立ち寄ってしまう。 昔と現在の違いは行動範囲が広くなった事だ。『山辺の道』は 話、テレビ・等々で見・聞き知ってはいたが 又 バイク・車で処々の近くまでは行った事はあるが 歩いた事が無かった。 一度は歩くって事が夢だったけれど 体調を悪くしてからは無理だと思い諦めていたんだけど どうしても歩きたいと思う気持ちか゛大きくなり 毎日少し少しの 散歩から始め 一か月頃には 歩く事が楽しく 朝昼夕と歩き回るようになり 体重10㌔減となり 長年の夢を叶える事が出来た! 又々話が思い出話でReportがストップしていまった。でも 今考えたら良く歩けたなぁ~っと思う!
大和八木近く最終の土橋で降りパイパスを南へ走る R24パイパス と 旧R165
交差点 曲川東を左折 東へ進み 旧R24 と R165 四条町交差点を右折 南へ 桓武天皇御陵前から橿原神宮前を通り抜け 近鉄橿原神宮前より近鉄線の踏切を渡り R169へ入り飛鳥駅を右手に こちらは明日香村だ! 左右たくさんの御陵の案内標『考元天皇陵、天武・持統天皇陵、高松塚古墳、石舞台、キトラ古墳・等々』盛り沢山だ! 高皇産霊神社手前の信号より左側道一方通行へ入る 細い道だ昔の旧街道 高取土佐街街道である ※
http://www.hinameguri.jp/about.html
3月初めから末までの『雛めぐり』 徒歩にて 約60件余りの旧家の古いお雛様を見学するっと言う催しだ! 町興しの行事である。 近年少しずつ脚光を浴び知られて来た行事ではあるが、知られてるって言っても 関西でも 本の一握り程度位だと思う…? 99.8%の人は知らないと思う。 ※高取土佐街の人すみません! でも私は毎年行き 案内していますよ。
<今年で何回目かなぁ~>?
ここでお勧めの昼食場所を案内します 橿原へ行く事があれば是非 老舗の橿原観光ホテルで食事をしましょう。安くて、ゆっくり出来る良いホテルですよ! ※毎回ここで昼食を食べ ゆっくりとするのが楽しみです レストランの 目の当りが橿原神宮の正面入り口だし 広々ととしていて明るくて 気持ちが良いです 何よりも ランチが¥1,000-って言うのが嬉しいですね!
しかし今日の予定は 天河の洞川温泉と決めているので 左手横目で橿原観光ホテル見 『今度食べるネ』っと心の中で『約束な』と呟く!
高取土佐街街道より 169号 中街道へ入り左右の田舎の景色に目を向け走行する 朝のゴタゴタで約90分余り予定が狂ったが 高速道路で少しは取り戻す事が出来たが未だ 60分強を取り戻さないと駄目だ! ※基本的に高速道路は利用しない方針である しかし 有料道路『橋・観光道路』は別だ。 喉が渇いたので 大淀町道の駅『吉野路大淀iセンター』へ立ち寄り ペットお茶を買い求める。 地場の野菜・等々が沢山販売されており 人でいっぱいである。 私のいつもの癖で色々と買い求めたいんだけど 往路の為断念したが次回の為に チェックはしておいた。 ハハハ!
中街道の土田交差点を右へ取り 岡崎交差点を左折 R309の くねくね路を道の駅吉野路黒滝まで走り トイレ休憩する 。もぉ~ここまで来たら天川村まではもう少しだ ここの道の駅吉野路黒滝は 手作り『こんにゃく』が美味しくて有名である。
ロスタイムは 40分位になった。 この先昔は地獄のような峠越えをしないと辿り着く事の出来ない聖地だった! だからバスが乗り入れられるなんて考えられなかった! 今は長~い長~いトンネルが2本完成していて 特に新河合トンネルは新しく綺麗だ! トンネルが完成してからは 凄く早く快適に行けるようになった事が不思議だ! トンネル内は 真夏だと言うのに 真冬の世界だ! 寒くて寒くて 道路は凍結しているのか光って見え ドキドキしながらの走行だ! トンネルを潜り 長い下り坂を下がった三角交差点の真中の小さな食事店の駐車場には 沢山のバイクが 昼食の為が停車しているのを横目で 左手へ ハンドルを切り 洞川温泉へ向けてアクセルを回し進む事15分位だったと思うが 途中工事中の為かガタガタにクルクル道には凄く疲れた。 リターン初心者の老体の私には絶対に走りたく無い道だ! 洞川温泉へ訪れるのは 今回でむ3回目だ 一度目が30年程前で 二度目が6年程前だと記憶する。
1度目の時は知らず知らず長が~い長~い峠々
を抜けて 到着した所が 洞川温泉(どろがわおんせん)だった。 2度目は テレビで確か「トンネル開通のお蔭で早く行けるようになりましたった」って言うニュース後のあとだった それで急に行きたくなり即、行ったと記憶する。 何か記憶が…? 温泉街の風景は素朴で『時代劇の宿場』っと言う感じそのままだったけれど 洞川温泉で有名な『ごろごろ水』場の風景の変わりさまにはビックリした 『ごろごろ茶屋』って言う施設が出来ていて 500円を支払いゲート内へ入る。 道より2メーター程下った河川広場だったのか 大きな駐車場に、 道と駐車場の段差を利用してか 水道の蛇口が長~く横に 30カ所位作られていて 水道と同じように捻り水を出す 普通の水道水と同じようなっと言う感じだ! 何か淋しく悲しいようなそんな思いをした。 でも水を持ち帰る人の為に 少しでも混脱しないように 又、村の事も良く考え細工されている事は事実だ。 昔は源泉が鍾乳洞の中よ
り流れ道端に大きな水穴が出来ていた記憶が? もともと『ごろごろ』と言う名前は 鍾乳洞内での水の流れる音が『ゴロゴロ』っと聞こえる事から『ごろごろ水』って言われるようになったのだと聞いたと事があるが本当の事は知らない。※ごろごろ水の案内 → 水は10.4℃と極めて冷たい湧き水で 洞川財産区が管理しているだしい。 又、泉の森、神泉洞、ごろごろ水の三カ所からなる洞川湧水群は、とくに人々が親しみ、また信仰篤く大切に保全され、環境省が1985年7月に認定した日本名水百選にも選ばれている。
洞川、天川と言えば 現在も『大峯山
女人禁制(にょにんきんせい)の修験の
山 山伏』だと良く知られていると思う。女人禁制とは<女性に対して社寺や霊場、祭場なぞへの立ち入りを禁じ、男性主体の修行や参拝に限定する事>を言う。又反対に、男性の立ち入りを禁じる事を便宜上男子禁制(だんしきんせい)と呼ぶこともあるだしい。女人結界ってご存知でしょうか? 特に、霊山の入山規制の結界を『女人結界』と言い、その境界には女人界石が建てられていて 信仰心篤い女性信者の為に、結界の外に女性が念仏に励む場所として女人堂が建てられ 女性の参拝・修行を許した場所を『女人高野』った呼んだと聞いている。 今の時代 女性の社会進出が多くなり又 議論され 多くの女人結界は解除・解禁された場所が多くあるが 現在も大峯山のように 伝統を守っているのは極一部であるだしい。 今の世の中 男女差別がどうのこうのと言われるが時代だが こう言った事は残しておいた方が 私は良いと思う。でも考えは人それぞれだからね!
山伏は、頭に頭巾(ときん)と呼ばれる多角形の小さな
帽子
のような物を付け、手には錫杖(しゃくじょう)と呼ばれる金属製の
杖
を持つ。
袈裟
と、篠懸(すずかけ)という
麻
の
法衣
を身に纏う。また、山中での互いの連絡や合図のために、
ほら貝
を加工した
楽器
を持つ。
天狗
や
烏天狗
は、山伏の装束を身に纏うとされたた人だ 昔は良く 小学生時代良く見かけた記憶がある しかしこの洞川温泉街では 当たり前のように見る事ができる。
山伏は、奈良
吉野山地
の
大峯山
(
金峯山寺
)を代表に、
大山
(
鳥取県
)や
羽黒山
(
山形県
)など日本各地の
霊山
と呼ばれる山々を踏破(抖擻)し、
懺悔
などの厳しい艱難苦行を経験し、山岳が持つ自然の霊力を身に付ける事を目的に頑張っていると聞いている。
四国88か所を遍路する 私も同じ気持ちで白衣装<死に衣装>を身にまとい山谷を日々お経を唱え遍路する。 良く似ていると思う。。 四国遍路は 約120日間をかけて四国は弘法大師さんが歩き清められた聖地を歩き ひたすら御大師様とご一緒<金剛杖>に お目にかかる、お会いする事だけを願い巡るお遍路。 色々な所々で 色々な人々に出会い、涙あり、感動あり、御接待・等々を頂き 色々な事知り、体験して 清らかな心に生まれ変わる事の出来る修行であるっと私は思ってる! 第四十二番の仏木寺のお言葉に『草も木も仏になれる仏木寺 なおたのもしき鬼畜人天』っち。 木も草も 動物も 人も 差別なく死んだら仏様になれますよっと解いているお言葉だと思う。 私も四国一周を六回位は回り 帰路には 高野山へお礼参りと 帰宅後は心体が洗礼れ 遍路前と後の心体の違いを何度も体験経験している。 一か月もしないうたに 又お四国へ行きたくなる気持ちを(お四国病)って言う。 お四国(遍路)を経験した人は全員って良いほどかかる病だ。 しかしあれから私は 30年間さっぱり お四国へ行っておらず 心が汚れてきた事は隠しようが無い。 近いうち必ず 西国33ケ所から 四国88か所へ お参りする予定で 現在企画中である。 出来次第案内しょうと思っています。
※体調の事を考え次は バイクにて 回る予定です。 弘法大師さんの 高野山へは 年2度~3度は参拝しています。
『オンアボキャベイロシャノウマカボダラマニハンドマジンバラハラバリタヤウン、 オンアボキャベイロシャノウマカボダラマニハンドマジンバラハラバリタヤウン、 オンアボキャベイロシャノウマカボダラマニハンドマジンバラハラバリタヤウン』 南無大師遍照金剛。 南無大師遍照金剛。 南無大師遍照金剛。
寄り道ごめんなさい!
坂道も平地に かわり 『洞川温泉へようこそ』と書かれた歓迎のドームを潜り到着した思う
左道端で鮎を焼き販売する2人の青年 1匹¥500-の看板! 食べたいなぁ~っ思いながらも先を急ぎ 温泉街へ急ぐ 前方の道の真中に何かが落ちているのを発見! 近づくと野球帽だった! 『子供さんか バイクの方』が落とされたものだと思い拾い バイク荷台のゴムに挟み 温泉街へ向かう。 さすが山奥の温泉街 涼しくて気持ちが良い まずは温泉街を時速10㌔位の走行で左右の景色<旅館・等>を確認しつつ ※時代劇に出てくる宿場<水戸黄門・他>を思い出して下されば良いと思う。 宿場二階の縁側より 誰かが声をかけて来るような? 一路 女人禁制(にょにんきんせい)の鳥居前まで バイクを走らせ 写真を撮り 休憩しつつ 先の女人禁制(にょにんきんせい)の鳥居前より 大峯山の写真を撮る。
★★ 又々寄り道 ごめんなさいね!
昔から 宿場町は、
飯盛旅籠
(めしもり はたご) や 門前町は、
岡場所
(おかばしょ)。 遊女の集まる『
遊廓
(ゆうかく)
廓
(くるわ)
花街
(はなまち、かがい)(芸妓たちの街)も含み、
色里
(いろさと)、
遊里
(ゆうり)、
色町
(いろまち)』 っ言うものがあった。
※今 暇を見つけてはプチツーの際に
『赤線地帯』(あかせんちたい)の探索をしている。 おって案内しょうと思っています。
お腹も減ったので昼食場所へ 先程走って来た道を戻る
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B4%9E%E5%B7%9D%E6%B8%A9%E6%B3%89
遊廓
遊廓
(ゆうかく)は、公許の
遊女
屋を集め、周囲を塀や堀などで囲った区画。成立は
安土桃山時代
にさかのぼる。別称として、
廓
(くるわ)
傾城町
(けいせいまち)ともいう。広義には、
花街
(はなまち、かがい)(芸妓たちの街)も含み、
色里
(いろさと)、
遊里
(ゆうり)、
色町
(いろまち)、など私娼街も含めた総合的通称(または混同)として遊郭と呼ばれる。
「廓」は「
城郭
」と同じで、囲われた区画を意味する語。一区画にまとめられたのは、その地の支配者が治安を守り風紀を統制することが目的だった。近代の遊郭は必ずしも大きな物理的障壁で囲まれていたわけではなく、目印程度の境界のこともあった。
江戸時代
、公許の遊廓以外にも、遊女の集まる場所として
宿場町
の
飯盛旅籠
(めしもり はたご)や
門前町
などの
岡場所
(おかばしょ)があった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%8A%E5%BB%93
遊郭